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星降り台とガラクタの歴史。

 現在ガラクタと呼ばれる品々が、次々と落下する事で知られる星降り台。
 ここでは、この街とガラクタとの関わりの歴史を解説していきたいと思います。

 星降り台に関するものと思われる記述は、
 古くは奈良時代の風土記文献に既に登場しています。
 ただし書かれているのは、流れ星が数多く降り注ぐ場所が
 あるらしいとあるだけで、巷に伝わる噂の域を出ていません。
 場所の詳細な記述もなく、現在でもこれが星降り台を指すものなのかどうか
 専門家の間でも意見が分かれています。

 明確なガラクタに関する記録は、平安時代中期。
 天の浜に近い日照寺に現存する当時の住職の日記に、
 空より箒星が落下し、その後怪異を成すようになったとの
 記述が残されています。
 日記によると、怪異はその後派遣されてきた武士団と住職により
 鎮められたと書かれていますので、おそらく何らかの弾みで
 動き出していたガラクタが、彼らの手で破壊されたのでしょう。

住職の日記を元に書き起こされた絵図。右下に落下したガラクタと思しきものが確認出来る。

 その後ガラクタに文献上でスポットライトが当たるのは
 江戸時代の末期まで待たねばなりません。
 現在のガラクタ落下の頻度からすると、これ程度しか
 記録が残っていないのは、奇妙に感じる事でしょう。
 この点については、星降り台が戦後までは小さな漁村であり
 居住地にガラクタが降る確率が低かった事。
 またほとんどのガラクタが、何らかの人の手が介在して
 初めて動くものであるため、住人達にとっては
 よく降る流れ星以上のものではなかった事が上げられます。
 日照寺の住職が遭遇したような事態が起こる事は、極めて稀だったのです。
 もっとも完全に何もなかったという訳ではなく、
 地元に残る伝承の中には、ガラクタとの関連が
 取りざたされるものが幾つかあります。

 さて、そんなガラクタが最初に流れ星とは異なると気付いたの
 星降り台出身の本草学者、穐智道(寅之助)です。
 彼は地元に流れ落ちる光を調査し、その落下地点に
 必ず何らかの品が残されている事を発見、それらを光と関連付けます。
 彼はそれらの品を収集するとともに、落下地点や日時、落下物の絵図を記録しました。
 これは初のガラクタに関する詳細な研究で、彼の収集物や絵図は
 現在はO&E研究所に併設された資料館に展示されています。

O&E研究所外観。併設された資料館では、ガラクタの実物も展示されている。

 彼の調査は元治元年から始まり、晩年となる明治7年には
 それらの記録を一纏めにして発表もされました。
 しかし明治維新の前後騒乱と、その後の近代化政策の中で
 古い迷信の記録と切って捨てられ、一般に省みられる事はありませんでした。

 皮肉な事に、ガラクタがこの場所だけで見られる得意な現象だと判明したのは、
 その後の戦争によるレーダーの発展と、冷戦下での宇宙開発競争によってでした。
 強力なレーダーや高性能の天体望遠鏡を使った宇宙観測によって、
 ガラクタが流星とはまったく異なるものである事が証明され、
 その後の調査で落下物が回収されるに及び、正式に専門の研究機関が組織され
 O&E研究所が設立されました。
 現在では星降り台は、世界で唯一のガラクタの落下地点として
 研究者だけでなく広く一般にも知れ渡り、多くの観光客がこの不思議な
 空からの落し物を一目見ようと、この地を訪れています。
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